スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

注目

#14「この世に要らないもの 後編」

「普通」という言葉に潜む静かな支配 第1章:普通という“基準”はどこから来たのか 無意識に使う言葉の輪郭 日常的に使っている「普通」という言葉。 でもよく考えると、それは誰が決めたのかもわからない、曖昧な基準です。 「みんながそうしているから」「昔からそう言われているから」。 そんな根拠のない安心感のもとに、「普通」は無意識のうちに誰かに押しつけられたり、自分にも課されていたりするのです。 「普通だから」と思考を止める瞬間 「普通でいいよ」と言ったとたんに、私たちは選択肢を放棄しているのかもしれません。 無限にあるはずの可能性が、「普通」の一言で2つか3つに狭められてしまう。 その便利さの裏に、自由を諦める怖さが潜んでいます。 “普通”は誰かの経験則でしかない 例えば結婚式のイメージ。 「挙式→誓い→キス→ブーケトス」…… それが“普通”とされるのは、それを見聞きする機会が多かったからに過ぎません。 つまり「普通」とは、多くの場合、その人が見てきた“パターンの集合”にすぎないのです。 第2章:「普通」が思考と感情を支配するとき プレゼント選びに潜む無意識の“無難” プレゼントを贈るとき、「普通これでしょ」と定番を選びがちです。 でも、本来は「その人のことを思い浮かべる」ことがプレゼントの原点だったはず。 “普通”を基準にすると、他人の目線を気にするあまり、本当の「気持ち」が置き去りになってしまいます。 共通認識という名の錯覚 「みんながそう言ってるから」「それが常識だから」と言うと、どこか正しさがあるように感じる。 けれど、その“普通”は実際には、ごく一部の文化や人間関係に限られたものかもしれません。 違和感を持った誰かが声を上げたときに、「非常識」と切り捨ててしまえば、対話の芽は摘まれてしまうのです。 マナーと常識の境界線 最低限のマナーやルールは必要。 でも、それを盾に「これが常識です」と他人に押しつけるのは、時に暴力的ですらあります。 「その常識って、誰が決めたの?」と問い直すこと。 それが本当に意味のある共存につながるのだと思います。 第3章:「普通」を手放すという自由 選択肢を狭める言葉を自覚する 「普通」という言葉には、無意識に想像力を封じる力がありま...

最新の投稿

第13回「この世に要らないもの」

#12 「友達、何人いる?」

#10 人間関係の“距離感”ってどこで測る?

#9 “悩みがない人”って本当にいる?

#8 一度でも「自分って嫌なやつだな」って思ったことある?

#7「帰りたくなる場所と、戻れない記憶」

#06 大人と子どもの境界線